ほんとの空は見えたのか・・・ vol.2

 

 さて、いざ山に登ろうと思っても肝心の天気がイマイチでは気分も乗るわけではなく

 思わず温泉でも入ってこのまま帰ろうかという気持ちにもなったが、雲に山が覆われ

 ていても結構な数の登山者がいたので、僕も一人いそいそと登山準備をして、登山口

 へと向かった。

 

 

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ロープウェイを使って一気にあがるという選択肢もあったのだが、登山に来て文明の

力を使うのは、けしからんという勝手な戒めを胸に刻み歩いて山頂に向かうことにした

 

まずはゲレンデ脇の登山道を行くか、それともあだたら渓谷自然遊歩道を行くかの選択に迫られるのだが、ここは素直に登山道との薄くなった矢印が示す方へ進むことにする

 

 

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まずは、幅が広く足元は歩きやすい道が続く。平日なので人も少なく、先行した登山者

も後ろから来る登山者も確認できない。

肩慣らしにはちょうど良い感じの勾配が続き、木々に覆われた登山道はひんやりと体を包み、心地よい気持ちになった。

10分程歩いた時だったろうか、僕はふとしたことに気づいた。それは余りにも静か過ぎるということだった。確かに人の気配はない、風も木々に遮られているだろうか感じることもない、だがそれにしても静か過ぎる。

その違和感の正体は鳥だった。今まで別の山に登った時は鳥の鳴き声が良く聞こえた。

普段の生活では気にしないような鳴き声も山に入れば、登山者の疲れを癒す清涼剤になるものだ、だが、ここまでの行程で殆ど言ってよいほど鳥の声を聞いていないことにきづいた。そうなると不思議なもので静寂が不気味なものに思えてくる。まして、木々に覆われた登山道は長い時間続き、同じような勾配、同じような光景がより気分を滅入らせてきた。

 

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1時間程歩いただろうか、相変わらず不気味なほどの静寂が続いたが、後方から熊鈴の

音が鳴り響き、ちょっとだけ心が落ち着いた。木々の隙間から見える空は白い雲に覆われ太陽の姿は確認できない。だが気温は確実に上昇しているようで肌着は汗に濡れていた。

 

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ようやく勢至平を過ぎた。まだまだ道中は長いがこういう標識を見ると疲れも少しだが和らぐ。いまだ、他の登山者に会うことがなく、休日の人があふれている登山もげんなりするものだが、余りにも人が少ないのも寂しすぎると思っていたところに、前方から普段聞きなれた音がした。だが、その音が登山道で聞こえる筈がないと身構えた瞬間

勢い良くそれは姿を現した。

 

以下、次回に続く。

 

ほんとの空は見えたのか・・・ vol.1

  九月某日 久しぶりの晴れ予報に心躍らせ、僕は福島県にある百名山の一つ

  安達太良山を一人目指していた。

  安達太良山といえば高村光太郎の「智恵子抄」の詩が有名であろう。

  「あどけない話」という詩の中で、智恵子いわく東京の空はほんとの空ではない

  安達太良山の山の上に出ている青空こそが、ほんとの空だと言っているのだ。

  

  ならば、ほんとの空を見るために行くしかない。そう思っていたのだが、中々

  天気が安定せず、ようやく予報が良いときと休みがぶつかり絶好のチャンスが

  巡ってきたと心躍らせ車を走らせた。

 

  国道115号に入り土湯峠方面に向かう。時間は午前7時を超えていた。

  広く快適な道路を運転しながら、時々見る空は薄暗い雲に覆われている。

  僕は一抹の不安を感じながら、山頂に着くころには空が青く彩られていると

  天気予報を信じていた。

 

  途中道の駅で休憩を挟み、駐車場のある「あだたら高原スキー場」に着いたのは

  8時過ぎ。広い駐車場に結構な数の車がある。

 

  いよいよ、登山開始と心弾ませるところだが、目指す山頂方向を見て僕は愕然と

  していた。

  ほんとの空を味わうためにやって来た安達太良山山頂は完全に雲に覆われていた。

 

  

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以下次回に続きます。